【博多】海人族が守る志賀海神社

志賀海神社 HPより 

金印がみつかった志賀島へ


博多湾に浮かぶ志賀島は、歴史でおなじみ『漢委奴国王』の金印が見つかった場所。

ですが、志賀島に海人族が守り続ける神社があるということは、あまり知られていません。

いつか訪れてみたい。

心惹かれていた神社は、行ってみると想像以上に清々しく、古代ロマン溢れる神社であることがわかりました。

海人族とは

かいじんぞく・あまぞくと読みます。

あるいは海神族と書いて、わだつみとも言います。

日本の海沿いに住み、船を操り、交易や漁業をしていた海の民のことを指してこう呼びます。

海人族を代表するのが安曇氏です。

日本旅を何倍も面白くさせてくれるのが、この安曇氏という存在です。

 

安曇氏とは

海人族の中で最も有力な豪族で、大和朝廷を支えた氏族(同じ祖先から出た集団)です。
安曇族とも呼ばれますが、本拠地がこの志賀島一帯でした。

安曇族は優れた航海術を持っていただけでなく、彼らが住み着いた地には棚田が多く見られるため、中国で行われていた棚田も日本に広めたのではないかと考えられています。

この安曇氏の末裔が現在まで神官となって守り続けているのが、志賀島に鎮座する志賀島神社です。

志賀島への行き方

海の中道で本土と繋がる志賀島

博多駅から30分ほどで志賀島に着きます。

本土と”海の中道”で繋がっているため、車やバスで行くこともできますが、私は博多港から志賀島行きのに乗ってみました。

博多港から1時間に1本ほどフェリーが出航しています。

船にしたことで、海風に当たりながら志賀島を眺めることができ、より海人族を感じる旅になったと思います。


龍の都、志賀島神社

末裔が今なお守り続ける志賀海神社

 

神社は志賀島の港から歩いて10分ほどのところにあります。

創建の時期は明らかではなく、2~4世紀ころには現在の位置に落ち着いたとされています。

龍の都

古来からそう呼ばれてきました。

その名にふさわしい神社です。

神社から下を見ると青々とした海が見え、山とは違う塩気を含んだ気に包まれています。

とにかく爽快な気分になり、歩いているだけで清められていく感じです。


ご祭神

御祭神は「表津綿津見神」「仲津綿津見神」「底津綿津見神」。

海の表、中、底を守ってくださる海の神様です。

この3神をあわせて綿津見三神(ワタツミ)と言います。

ワタツミは禊祓い(みそぎはらい)の神様

海の神であるため、水と潮も支配しています。

そのため志賀島神社は、海の安全、海産物の恵みだけでなく、災厄を祓い清め、生死についてもご利益があると言われています。


国宝:わだつみのいろこの宮(青木繁)


お潮井で清める

参拝するにはで清めなければなりません。

海水や浜の砂で清めるのは、海岸地域に多くみられる習俗です。

潮井の箱が置いてあるので、中の砂を手に取り、左、右、左と自分の体に軽くふりかけます。

 

御朱印

受付は17時半まで。御朱印の初穂料は300円です。

オリジナルの御朱印帳もあり、をモチーフにしたクールなものです。

 

 

『君が代』のルーツ

安曇族の王を称えた神楽歌が、『君が代』になったのではないかと言われています。

山褒祭 神楽歌

君が代は千代に千代に さざれいしの いわおとなりて 苔のむすまで あれはや あれこそは わが君の御舟なり うつうがせ みがいに命 千歳という・・・』


君が代は平安時代の「古今和歌集」もとに、明治時代に作られたもの。

1番の「君が代は〜千代に八千代に〜」は詠み人知らずで、作者不明です。

江戸時代には庶民の間に広まり歌われていたそうです。

海の民であれば、歌が日本全国に広まったとしても不思議はありませんよね。

 

神功皇后絵巻

神功皇后出兵絵巻

神功皇后は戦前には学校で教えられたり、お札に描かれたり、と誰もが知る方でした。
ですが日本が戦争に負けたことにより、戦後、隠されるかのように出てこなくなりました。

三韓平定

それでは、なぜお札にまでなっていたのか。

それは皇后が朝鮮に出兵し、新羅・百済・高句麗の三韓を日本の統治下においたからです。

今でいう霊能者でしょうか。神と交信ができたようです。

この三韓平定により、日本は隋・唐・・と続く中国の巨大王朝の支配を逃れられ、植民地にならずにすんだと言われています。

志賀島は神功皇后の伝説が多く残る島で、志賀海神社には三韓平定を描いた絵巻が今も残されています。

船からのぞむ志賀島

 

あなたも安曇族かもしれない

アズミアツミ、あるいはシガと名のつく地域は、安曇族の住み着いた地として知られています。

信州安曇野、米子の上安曇、愛知の渥美半島、静岡の熱海、安曇川、滋賀・・探せばもっとあるでしょう。

彼らの足跡は町の名だけでなく、岬や川などにも残されています。

安曇、阿曇、渥美、厚海、厚見、阿積・・・キリがありません。

つまり先祖が安曇族だったという人は、全国津々浦々に存在するというわけです。

 

川をのぼった安曇族

穂高神社

海の民である安曇族は北アルプスにも住み着きました。
それが信州安曇野です。

信州に行き着いた理由は、

勾玉などに用いられた「翡翠ヒスイ」を追ったからでは?

日本海へは糸魚川、太平洋へは天竜川とつながるから?

など様々なことが言われていますが、定かではありません。


信州:穂高神社

安曇族をまつる神社として有名です。

神社最大の「御船祭り」では、山地にもかかわらず船を形どった大きな山車が登場し、船をぶつけあって競いあいます。

安曇野の地を切り開いた心意気を感じさせるお祭りなんだそうです。

安曇の王、磯良丸

博多山笠「安曇磯良丸伝説」 磯良丸は白い布で顔を覆い亀に乗っている


安曇磯良は安曇族の始祖です。磯良丸とも呼ばれます。

彼は三韓平定の際、妊娠中の神功皇后を安全に朝鮮まで案内し、勝利に導きました。

磯良丸伝説

海底に住む磯良丸は、神功皇后から招集されても、顔に牡蠣やアワビがついていることを恥ずかしがり、なかなか海上に姿をみせませんでした。

そこで彼を引きずり出そうと志賀島で7日7晩、彼の好む神楽を奏でたところ、ついに霊力をもつ千珠・満珠を携えた磯良丸が海の中から亀にのって現れ、白い布で顔を覆って、鞨鼓(太鼓)を胸にかかえて舞を舞ったそうです。

この伝説が「磯良の舞」「鞨鼓の舞」という神楽舞となり、志賀海神社だけでなく、奈良の春日大社などで今も奉納されています。


龍神、磯良丸

石清水八幡宮(京都)の霊験記『八幡愚童訓』に、磯良丸は春日大社や鹿島大社にまつられる神と同一神と記されています。

これが本当だとすると、磯良丸はかなり強力な神様です。

「磯良と申すは、鹿丿島明神(筑前)、鹿嶋大明神(常陸)、春日大明神(大和)のことで、みな一体分身同体異名であられる。志賀海大明神(志賀島神社の御祭神)であり、春日大社の天児屋根命 (あまのこやねのみこと)と同じ神」


磯良丸をおまつりする神社

京都祇園祭の大船鉾にも”龍神-安曇磯良”が登場します。

彼は安曇族が住み着いた場所でまつられている可能性が大きいので、近所のお祭りや神社など、ぜひチェックしてみてください。

 

磯良をまつる神社

北九州 和布刈神

福岡  風浪宮

奈良  春日大社

大阪  磯良神社

宮城  磯良神社 


志賀海神社 詳細

住所:〒811-0323 福岡市東区志賀島877
TEL : 092-603-6501
参拝時間 : 開門6時 閉門5時半
駐車場:志賀海神社横にあり

【公式】志賀海神社ホームページ



まとめ

いかがでした?

安曇族とは幻や伝説ではなく、実在した海人族です。

もしかしたら、あなたも私も安曇族の末裔かもしれませんよね🤗

日本を旅する中で安曇族の痕跡を見つけたら、あなたの旅は何倍も面白くなるはずです。